動きたいけど動けない。
でも、このままでいいとは思えない
動きたいのに動けないとき、進みたい気持ちととどまりたい気持ちが同時に出ていることがあります。どちらかが本心でどちらかが嘘なのではなく、両方が本物のまま、どちらか一方を無視することができずに動けていないのだと思います。
私は自分で考えても答えが出ず、外に正解を探しました。ネットには「今すぐ会社を辞めよう」という話も、「我慢してしがみつくべきだ」という話もあり、どちらも片方を切り捨てる話でした。経験談もたくさん読みましたが、年齢も状況も抱えているものも違います。なるほどとは思ってもそこで止まり「あの人はできていいよな」で終わっていました。
この対話で確かめること
動きたいけど動けない。その状態には状況そのものだけでなく、自分の中にある前提や基準も関わっているのだと思います。ただ前提や基準そのものは、はっきりとは意識できません。先に出てくるのは違和感の方です。
だからこの対話では、違和感を大切にします。普段は流してしまう小さな引っかかりや、私が聞いていて気になったところを、一つずつ一緒に確かめていきます。
その違和感には、自分の望みや怖さと、外から取り込んだ基準が混ざっているように見えます。たとえば「親に心配をかけてはいけない」「せっかく積み上げたものを手放すのはもったいない」「30代のうちに決めないと手遅れになる」。自分で選んだつもりの基準が、実は親や上司や世間から借りたままだったりします。借りた基準が悪いわけではありません。何を恐れているのか、何を守ろうとしているのか、その基準はどこから来たのか、そして今も自分に必要なものなのか。話しながら一つずつ確かめていきます。
確かめた先で何を選ぶかは、人によって違います。辞める、続ける、転職する、何も変えない。そのどれかへ誘導する対話ではありません。
この対話で目指すのは、やりたいことや理想の働き方を言い当てることではなく、明確な正解や目標がなくても好奇心と違和感を手がかりに自分で考え、試し、確かめ直せるようになることです。
なぜ一人では難しいのか
自分にとって当たり前になっている思い込みは、比較するものがないため、それが思い込みだと一人では気づきにくいと感じています。気づきかけても、考えたくないことから目をそらしたり、いつの間にか同じところへ戻ったりします。私も一人では何度も止まりました。
自分と向き合うことは、一度話せば終わるものではありません。話して日常に戻り、そこで起きたことを持ち寄って、また話す。その繰り返しになります。心細くなったり、別の方法へ目移りしたりもします。私がこの過程を続けられたのは、その時々の私を見てくれる人がいたからでした。
自分で考えても分からなくなると誰かに聞きたくなりました。でも聞いているうちに、私が欲しかったのはアドバイスではないと気づきました。決めるのは自分でいい。ただ一人だと決めきれないから、確かめる相手が欲しかったのだと思います。
だから私は、隣で一緒に確かめる立場でいます。どういう道を通ってきて、今どこで立ち止まっているのかを、できるだけ同じ目線で見たいと考えています。
車にたとえるなら、私は助手席に座るコ・ドライバーです。私が運転を代わることはありません。
この対話が合う人・合わない人
この対話が合うのは、これまで努力し、調べ、積み上げることで前に進んできた人です。言葉にならない違和感が残り、このまま進み続けていいのか分からない。自分で決めたいけれど、何に引っかかっているのかが自分だけでは見えない。
たとえば、資格を取っても、気づけば次の資格を探している。今の仕事を続けることに違和感はあるものの、辞めるほどの明確な理由はなく、転職を考えても足が重い。大きな不満はなく働き続けられる一方で、どこかに「このままではいけない」という感覚が残っている。
一方、あらかじめ決められた手順や課題をこなせば正解にたどり着ける、そういうワークを求めている人、短期間の目標を決めて管理してほしい人、具体的な正解やアドバイスを求めている人には、そうした支援を提供する別のサービスの方が合います。この対話には向かないと思います。